突撃!いきなり教育談義

本日の教育談義プロフィール

本間正人(ほんままさと)
成人教育学博士。NPO学習学協会代表理事、帝塚山学院大学客員教授、NPOハロードリーム実行委員会理事。東京大学文学部社会学科卒業、ミネソタ大学大学院修了(成人教育学 Ph.D.)。ミネソタ州政府貿易局、松下政経塾研究主担当、NHK教育テレビ「実践ビジネス英会話」の講師などを歴任。「教育学」を超える「学習学」を提唱し、大人数の参加型研修講師、TVニュース番組のアンカーとして定評がある。コーチングやポジティブ組織開発、ほめ言葉などの著書多数。

第2回 本間正人「楽しく学び続ける!」2010年12月01日

本日のお相手は、本間正人さん。
コーチングの第一人者であり、「学習学」の提唱者でいらっしゃいます。
東大文学部、松下政経塾、ミネソタ大学を経て、現在は「教育学」を超える「学習学」を提唱されています。常に新しい時代を見据えて、社会活動をされている本間先生。
そんな姿を中高生・保護者の方々にご紹介したく、本日はご登場いただきました。

ご来歴 / 環境の変化に対応する力

清水 本日は、教育学に明るい本間正人先生にお越しいただいて、いろいろとお話を伺ってみたいと思います。本間先生、お忙しいなか本当にありがとうございます。本日はどうぞよろしくお願い致します。

本間さん こちらこそ、よろしくお願い致します。

清水 本間先生は東京大学文学部社会学科卒業と伺いましたが、学生時代のお話をお聞かせください。

本間さん 高校は東京教育大学付属駒場高校、今の筑波大学附属駒場高校、いわゆる「ツクコマ」に通っていました。 そこから、東京大学に進学しましたね。他にも何かしたいなあと思っていたときに、たまたま「松下政経塾」の広告を見つけました。研修資金という形で大卒初任給くらいのお金を出して面倒をみてくれる上に、実務体験がいろいろ積めるのでいいなあと惹かれ、卒業後にそのまま入った感じですね。

清水 松下政経塾には広告で入られたんですか!ちょっと意外ですね。その後はどうされたんですか?

本間さん 1985年というのは、国連が定めた「国際青年年」(IYY=International Year of Youth)といって、青年育成に力を入れた年があり、国連が主催する国際交流事業などでボランティアを募集していました。

清水 今で言うと、国連でインターンシップをするようなものですか?

本間さん インターンって言葉は使っていなかったけど、まさしくそうですね、そこに参加しました。そのあと、官庁エコノミストの先駆けで、外務大臣を務められた大来佐武郎(おおきた・さぶろう)先生に師事しました。さらに松下政経塾を出てからは、「ローマ・クラブ」の有力メンバーをやられていたハーラン・クリーブランドに師事するために、ミネソタ大学のハンフリー公共政策大学院に留学しましたね。

清水 素敵なご経歴ですね。ミネソタ大学に行かれた時はおいくつだったんですか?

本間さん うん、あれは1990年だから31歳ですね。それで、松下政経塾が人材養成だけじゃなくて、政治家養成プログラムの一部で政策策定もやるって話になったのでお手伝いしたんだけど、答えを教えていくというよりプロセスを一緒に考える形でした。後から考えるとこのやり方がコーチングそのものだったんだと思います。

清水 なるほど。そこで初めてコーチングを体感されたんですね。本間先生のお話をお聞きしていると、しっかり人生計画をされて進んでいくというより、前回の坪田さんのように「ケセラセラ(=なるようになる)」や「行き当たりバッチリ」というか、自分の軸は決めるけれど自由に生きていく感じだったのかなと思うのですが。

本間さん 僕もそうですね。国際関係だったり人と関わる仕事といってね、そういった精神だけはしっかり持ってやってきましたね。今は僕の中で「学習」というのを「適応の定義」(=”外界を認知して自らの特質を活かす形で環境に適応していく”)と「開花の定義」(=”環境に適応する形で自らの特質を開花させていく”)の二つに分けていますが、これからは変化が大きい時代だから、社会人はもちろん中高生にもより適応する力=「学習力」が必要とされていくかなと思います。

自由な学習

清水 そんな時代である一方で、教育界では、画一的な教育・教育観の押しつけが行われてしまっていますね。

本間さん そういう側面はありますよね。同じ松下政経塾出身の山田宏さんは、教育に関心がある方で、杉並区長を務められていたとき、和田中学校における藤原和博さんのプロジェクトでは「学校開放」をやっていました。その時僕は教室を使うアイディアを政経塾の12期生と考えて、全国3000の自治体にレポートを送ったりもしていましたね。そのレポートは細川護煕さんにも提出しました。

清水 和田中学校は学校改革のパイオニアでしたね。得られたものはどんなものでしたか?

本間さん それで、学校で行われていることはすべて学校側の都合によるんだということに気づいたんです。教育学という学問はあるけど、学習学っていう発想はなかった。いったん学校に入ると教室があって、教卓があって、机があって、先生と生徒がいて、というすべて教える側の都合だけでできていたわけです。だから、当時から学習意欲が下がるのは当然でした。勉強しろ勉強しろ言われたら、それはやはりやる気がなくなりますよね。松下幸之助もこういったことを言っていて、「やれと言われたらやらないのが人情やな。やりたくなる気持ちを引き出さないとあかんで」っていうわけ。

清水 それもコーチング的な発想ですよね。

本間さん そうですね。しかも、「学校の常識」ってのがあるんですよ。みんなそれに慣れてるから不思議に思わないけど、たとえば時間割とかもそう。月曜の3時間目が漢文で4時間目が物理とか、よく考えたら10分間の休みで、漢文から物理に頭を切り替えるなんてだいぶ大変な作業だと思いませんか?しかも、月曜の3時間目に漢文があったら、次に漢文をやるのは木曜日の5時間目だったりするわけですよ。「前回は杜甫の詩の話をしましたから、今日は続きで白居易をやります。では教科書54ページの…」なんて言われても、そのあいだ全く関係のない21世紀に私たちは生きているもんだから、まず思い出すのも一苦労。この非合理の要因っていうのは、結局全科目の教員を全員フルタイムで雇用するっていう、学校側の都合でできていて、生徒側の都合を一切考えていないところにあるんだよね。もちろん先生もいろいろ大変だと思うけれど。だから結局、学校はこういうもんだっていう固定観念が世の中にまかり通ってしまっているけれど、よく考えると変な話は山ほどある。

清水 たしかにそうですね。そうすると、本当に生徒のための教育を行うには、どういったアプローチがあるでしょうか。

本間さん そうだなあ、例えば、中高で「集中型の講座」をやってもいいんじゃないかと思いますね。世界史で、中国の三国時代を教えるのが得意な先生がいたとする。その先生はある特定の中学高校に勤務という形で固定されているけれど、三国志の大スペクタクルをとても上手に教えることができて、これを聞いた生徒が思わず興味を刺激されてしまうくらいだとしたら、ぜひともほかの中学校に出張して「今週は三国志ウィーク!」と銘打って集中講座で披露することがあってもいいと思うんですよ。こうすれば、学習効果が高いだけじゃなくて、歴史の面白さに気付く子が絶対に出てくる。

清水 面白いですね。そんな授業があったら受けてみたい(笑)。しかし現実にはそういった教育が行われていない。

本間さん 多様性を認める発想がないんですね。そこで文部科学省のことを考えると、文科省ってのは基本的に学習の栄養計算だけをやっているイメージがします。どういうことかというと、基本的に僕は教育を「クッキング」、学習を「ダイニング」と捉えています。どうやって食べてもらうかってところを考え、調理はもちろん配膳までするのが教育の仕事だと思っているんですよ。生徒は、口に入れてみて「これおいしいね」って言って噛んで咀嚼して、消化して、そうしてようやくその子の血肉になっていく。これでようやく「学習」のサイクルが完結するんですね。文科省ってのは、一方で、教科書の知識として何を載せるかということしか考えていない。栄養計算だけやっているようなものです。現代では、学校に行かなくても知識を得るだけなら、e-ラーニングをはじめとして膨大な学習資源が転がっています。だから、学校に行くことの必要性も変わっている。僕は学校が「社会性を学ぶ場」に変わらなければならないと考えています。問題なのは、教育学って概念があって、「人間は教わらなければ学べない」といった、せいぜい18~19世紀のような価値観が横行していることですね。今はe-ラーニングのように素晴らしい選択肢が出てきている。まず、学習速度の違いに対応しやすいことが利点ですね。一つのプリントに30分かかる子にも1時間かかる子にもまとめて対応できる。次に、「誤答分析」といって、間違った答えを分析して、算数の通分で間違っちゃった子には通分の問題を与えるとか、そういった対応が自動的かつ有機的に行える。これは40人くらいの子を一度に見るクラスでは、なかなか実現できないことなんですよ。そうすると、ますます、これからの学校はなんのための学校なのかって、教育観を再考する必要が出てくるはずなんですよ。

清水 おっしゃるとおりですね。 東大教育学部の佐藤学先生も、「黒板と教卓があって机と椅子が一方向に並べられ、教師が教科書を中心に説明し生徒がノートをとるという授業風景は、もはや博物館に入っている」と述べられています。 これからの時代の新しいモデルが求められているのだと思います。

複式学級について

清水 これからの教育を考えるにあたって、僕は縦割りというか異年齢学級の研究をしています。和歌山大学附属小学校というところに通っていまして、複式学級の学校なんですが。

本間さん そうなんですか!それはすばらしいぃ~。

清水 ありがとうございます(笑)日本の複式学級はフィンランド等のそれと違い、それぞれの学年で違う内容を勉強していることが多いんです。たとえば、1年生と2年生の合同クラスがあるとすれば、1年生と2年生は、単元は似ていても、内容は違う。それを先生が1人で教えているのです。ここで面白いのは、休み時間の生徒たちの様子です。下学年の子ども達は、上学年の子ども達が学んでいる内容を、自然と目にすることになります。リラックスした状態で、上の子がやっていることを学ぶことができる。それを見た下の子たちは、「面白そうだな」とか「かっこいいなぁ」と憧れを抱く。その憧れが、学習意欲の向上につながっていくのではないかと私は考えています。

本間さん そうですね。学習意欲がきっと高まるでしょうね。でもね、とくに一人っ子が増えている現代に関して言えば、僕は複式学級に対して大賛成。ほら、人に教えようとするとしっかり学ぶ必要が出てきたりして、学力が上がる「ラーニングバイティーチング」というのも期待できる。それに、たとえ年が同じでもいろんな子供がいるわけだから、学年制っていうのは必ずしもしなくていいと思うね。

清水 学年制ってのは、明治期に経済的な理由で作られたんです。明治期に就学率をあげようとしたら先生が少なくなってしまった。そこで、それまでは学力ごとに生徒を見ていたんだけど、学年として分けることによって、先生の人数が最小限で済ませようとした。

本間さん へえ、そうなんですね。ということは、今は教員免許を持っている人が山ほどいるから、学年制でなくてもいいですね。鳥取大学に複式学級の研究をしている人がいたんだけれど、教育学部はお取りつぶしになってしまった。だから本当に複式学級は大賛成ですね。兄弟のいない子に異世代間コミュニケーションをさせてあげたいですね。

清水 「協調的学び」とかけて、僕は「兄弟的学び」と言っていいます。僕は三人兄弟の一番下で兄から習ったこと多かったので、大事かなと。

本間さん いいお兄様(笑)

清水 いやいや(笑)。なので、どんどん掃除とか運動会で縦割りの仕組みにしていくのはどうかなと考えています。こういうピア・サポート・プログラムのような仕組みを増やしていきたいですね。

本間さん 全国に何万って学校があるわけだから、新しい仕組みを導入するような学校が一つくらいあってもいいと切実に思うんですよね。成功例として全国区に広げていってもいいと思います。日本の教育は、学習指導要領があるために、新しい試みに対する許容性がないですね。 畑村洋太郎先生が「失敗学のすすめ」という本の中で、「農業と工業の発達にはスピードの違いがあるのは「実験」と「失敗」の数が違うからである」とおっしゃっています。確かに農業は古くからあるけれど、たかだか2000サイクルしかしていないと。それを聞いてぼくが愕然としたのは、教育の世界はなんだろうと思ったんですね。新たな「実験」も「失敗」もしない、スパイラルの中にいるだけの学校教育では進化はありえない。だから、これからの文科省が実験を奨励してくれたら、初めて日本の教育改革は進むと思うんですよ。

常識にとらわれた高校生へメッセージ

清水 そんな教育の中にいる中高生に向けて、自然に生きていいよというか、世間の価値観に縛られなくていいよといいますか、そういった本間哲学をお聞きしてもいいですか?

本間さん うーん、そうですね、では中学高校についてお話しますね。中学生高校生に一番伝えたいことというのは、「あなたの中にはすごい可能性があるんだよ」ということですね。 たまたま学校の授業で分からないところがあるからといって、それで人生が終わりではないということです。それなのに、そこで先生にがみがみ言われたりなんかしたりすると、子どもの自己肯定感はどんどん下がっていってしまう。実際は、学校で教えられることは人生の学びの中のごく一部でしかないし、社会に出たときには、それ以外の評価の基準がいくらでもあるっていうのにね。僕の息子はパン屋さんになるっていうくらい人当たりが良くて、引っ込み思案な僕とはちがって、すごいなって思ったりします。

清水 それは息子さん素敵ですね。誰とでも友達になれるのは大切なことですね。

本間さん 彼の天分からしたら、パン屋さんとしてとても活躍できるかもしれない。そうだ、清水さんは「活躍」にどんなイメージがありますか?

清水 僕の中での活躍のイメージというのは、自己肯定感がまずあるといいますか。それをやることが楽しくて仕方ないといって、突き進んでいくようなイメージですね。

本間さん ぼくも同感ですね、本当はそうなんだよね。学校の先生の言うとおりたくさん勉強をして有名な大学に入ったとしても、それで幸せかどうかなんて誰にもわからないじゃないですか。自分のやりたいことをやって、自分の人生これでよかったなとしみじみ思えばいい。その中で学校の勉強は大事じゃないとは言わないけれど、例えばお母さんの掃除の手伝いだって大切なことの一つなわけで、学べることはいくらだってあるんですよ。だから学校の勉強が能力開発のすべてではない。松下幸之助は小学校四年で中退してそのあと自分で学び続けたわけなんですが、その中で培われた基本方針が「自修自得」と「万事研修」の二つです。自ら修め自ら会得する、つまり教えてもらうのを待っててはいけないということと、あらゆることが自分自身の勉強になるという、二つの考え方です。政経塾で基本とされた挨拶や掃除というのは、いうなれば他者や社会とのコミュニケーションであって、これをおろそかにしないことが人間力や人徳に活きてくるんですね。社会で大切なことは、やっぱりかなりの部分が、コミュニケーション力と自己洞察力にあると思います。

清水 本間先生はお若い時から、常識や固定観念に縛られないといいますか、社会への批判精神のようなものを身につけていらっしゃったと思うのですが、そのきっかけのようなものはあったのでしょうか?

本間さん うーん、いい質問ですね。確かにきっかけのようなものはありましたね。小学生だった時に、当時流行した多湖輝先生の「頭の体操」という本を読んだんですよ。そこで、自分の認識の枠組みが全てではないとか、物事を相対化するということについて非常に知的刺激を受けましたから、「常識を疑う」という発想の土台が作られたのかもしれません。大学のときは批判社会学のゼミで、主権国家システムを抜本的に見直すという卒業論文をまとめました。

清水 頭の体操ですか。それが以後の発想につながったと。

本間さん それと、常識にとらわれすぎてはいけないという考え方は松下幸之助さんからも学びましたね。彼が取材などで一言求められて、色紙に一番多く書くのは「素直」という言葉なんですよ。 「素直」っていうのは偉い人の話を唯々諾々と聞くということではなくて、囚われのない心。英語でいうアントラップトマインドという意味です。従来の半分のコストでラジオを作るとか無茶な注文があっても、無理だと決めつけずゼロベースで取り組んでみると、注文通りのラジオが本当にできてしまうんですね。 そういったエピソードが彼にはいっぱいあって、常識にとらわれているうちにはクリエテイティビティは発揮されない。新しいことを発想するには、常識をぶち破る発想が必要かなと。僕のきっかけになった三つは、頭の体操、批判社会学、松下幸之助、だったかなあと今になって思います。

新しい教育観

清水 最後にこれからの教育観の話をさせてください。現状としては、教育観の温度差というのが教える側と教えられる側にあるのかなと。いま実際、小玉重夫先生(東大教育学部)の本を読んでいて、理想の教育論としては、上下関係を作るのではなくて生徒と一緒に真理に向かって共に向かっていくことが必要なのだろうと考えています。

本間さん 授業一つとってみても、その通りですね。先生が答えを教えるという心理的優位に立つのみで、生徒と一緒に答えを模索するような、一緒に学ぶ姿勢が欠如しているのは大変にもったいない。 基本的に、人間はすべて学習者なんですね、人との関係の中で学び続けていくっていう。最終学歴にこだわるのじゃなくて、最新学習歴を更新し続けていく社会というか、ロング・ラーニング・ソサエティとでも呼べるものを僕は目指していますね。

清水 中高生は学ぶことを意識し始める最初の段階だと思うんですが、中高生に向けてメッセージをぜひお願いします。

本間さん 勉強が嫌だなあと思っている人がいたら、ぜひ学ぶことの面白さを知っている人を見つけて、話を聞いてみてください。自分の苦手な科目を楽しそうに取り組んでいる人に対して、「どういったところが面白いのか」とインタビューしてみることで、そういう視点があったのかと納得できるはずです。 孔子のように「学習は喜ばしい」「人との出会いは楽しい」という発想がある一方で、学校は勉強がつらくていじめが怖いといったイメージなんてものができてしまっている。こんな学校にだれがしちゃったんだという感じですよね。ひとりひとりの人間の中には楽しく学ぶ力がある。人との出会いを自分のエネルギー源に変えていく力をすべての人が持っている。これは間違いなく断言できます。だから楽しそうに勉強している人と付き合うと勉強が楽しくなる。それは人生にとっての財産になっていきます。社会のすべてが学びの場です。皆が学ぶという気持ちを持っていればいろんな人からいろんな宝物をもらえる。それが人生の本当に重要な学びであり、人生の宝物を増やしていくということになるかなと思っている姿勢でございます。

清水 すごい!そういう社会になっていければ本当にいいですよね!

本日の感想

清水 本日の感想のようなものを最後に書いていただいてもよろしいですか?前回の坪田さんからは「ケ・セ・ラ・セラ」というお言葉をいただいたんですが。

本間さん 今日感じたことはやっぱりこれですね。「楽しく学び続ける」!

清水 なるほど!本日はどうもありがとうございました!

本間さん こちらこそ、どうもありがとうございました。

12月1日 プラスティーオフィスにて

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第2回 本間正人「楽しく学び続ける!」

2010年12月01日

本日のお相手は、本間正人さん。
コーチングの第一人者であり、「学習学」の提唱者でいらっしゃいます。
東大文学部、松下政経塾、ミネソタ大学を経て、現在は「教育学」を超える「学習学」を提唱されています。常に新しい時代を見据えて、社会活動をされている本間先生。
そんな姿を中高生・保護者の方々にご紹介したく、本日はご登場いただきました。

本日の教育談義プロフィール

本間正人(ほんままさと)
成人教育学博士。NPO学習学協会代表理事、帝塚山学院大学客員教授、NPOハロードリーム実行委員会理事。東京大学文学部社会学科卒業、ミネソタ大学大学院修了(成人教育学 Ph.D.)。ミネソタ州政府貿易局、松下政経塾研究主担当、NHK教育テレビ「実践ビジネス英会話」の講師などを歴任。「教育学」を超える「学習学」を提唱し、大人数の参加型研修講師、TVニュース番組のアンカーとして定評がある。コーチングやポジティブ組織開発、ほめ言葉などの著書多数。

ご来歴 / 環境の変化に対応する力

清水 本日は、教育学に明るい本間正人先生にお越しいただいて、いろいろとお話を伺ってみたいと思います。本間先生、お忙しいなか本当にありがとうございます。本日はどうぞよろしくお願い致します。

本間さん こちらこそ、よろしくお願い致します。

清水 本間先生は東京大学文学部社会学科卒業と伺いましたが、学生時代のお話をお聞かせください。

本間さん 高校は東京教育大学付属駒場高校、今の筑波大学附属駒場高校、いわゆる「ツクコマ」に通っていました。 そこから、東京大学に進学しましたね。他にも何かしたいなあと思っていたときに、たまたま「松下政経塾」の広告を見つけました。研修資金という形で大卒初任給くらいのお金を出して面倒をみてくれる上に、実務体験がいろいろ積めるのでいいなあと惹かれ、卒業後にそのまま入った感じですね。

清水 松下政経塾には広告で入られたんですか!ちょっと意外ですね。その後はどうされたんですか?

本間さん 1985年というのは、国連が定めた「国際青年年」(IYY=International Year of Youth)といって、青年育成に力を入れた年があり、国連が主催する国際交流事業などでボランティアを募集していました。

清水 今で言うと、国連でインターンシップをするようなものですか?

本間さん インターンって言葉は使っていなかったけど、まさしくそうですね、そこに参加しました。そのあと、官庁エコノミストの先駆けで、外務大臣を務められた大来佐武郎(おおきた・さぶろう)先生に師事しました。さらに松下政経塾を出てからは、「ローマ・クラブ」の有力メンバーをやられていたハーラン・クリーブランドに師事するために、ミネソタ大学のハンフリー公共政策大学院に留学しましたね。

清水 素敵なご経歴ですね。ミネソタ大学に行かれた時はおいくつだったんですか?

本間さん うん、あれは1990年だから31歳ですね。それで、松下政経塾が人材養成だけじゃなくて、政治家養成プログラムの一部で政策策定もやるって話になったのでお手伝いしたんだけど、答えを教えていくというよりプロセスを一緒に考える形でした。後から考えるとこのやり方がコーチングそのものだったんだと思います。

清水 なるほど。そこで初めてコーチングを体感されたんですね。本間先生のお話をお聞きしていると、しっかり人生計画をされて進んでいくというより、前回の坪田さんのように「ケセラセラ(=なるようになる)」や「行き当たりバッチリ」というか、自分の軸は決めるけれど自由に生きていく感じだったのかなと思うのですが。

本間さん 僕もそうですね。国際関係だったり人と関わる仕事といってね、そういった精神だけはしっかり持ってやってきましたね。今は僕の中で「学習」というのを「適応の定義」(=”外界を認知して自らの特質を活かす形で環境に適応していく”)と「開花の定義」(=”環境に適応する形で自らの特質を開花させていく”)の二つに分けていますが、これからは変化が大きい時代だから、社会人はもちろん中高生にもより適応する力=「学習力」が必要とされていくかなと思います。

自由な学習

清水 そんな時代である一方で、教育界では、画一的な教育・教育観の押しつけが行われてしまっていますね。

本間さん そういう側面はありますよね。同じ松下政経塾出身の山田宏さんは、教育に関心がある方で、杉並区長を務められていたとき、和田中学校における藤原和博さんのプロジェクトでは「学校開放」をやっていました。その時僕は教室を使うアイディアを政経塾の12期生と考えて、全国3000の自治体にレポートを送ったりもしていましたね。そのレポートは細川護煕さんにも提出しました。

清水 和田中学校は学校改革のパイオニアでしたね。得られたものはどんなものでしたか?

本間さん それで、学校で行われていることはすべて学校側の都合によるんだということに気づいたんです。教育学という学問はあるけど、学習学っていう発想はなかった。いったん学校に入ると教室があって、教卓があって、机があって、先生と生徒がいて、というすべて教える側の都合だけでできていたわけです。だから、当時から学習意欲が下がるのは当然でした。勉強しろ勉強しろ言われたら、それはやはりやる気がなくなりますよね。松下幸之助もこういったことを言っていて、「やれと言われたらやらないのが人情やな。やりたくなる気持ちを引き出さないとあかんで」っていうわけ。

清水 それもコーチング的な発想ですよね。

本間さん そうですね。しかも、「学校の常識」ってのがあるんですよ。みんなそれに慣れてるから不思議に思わないけど、たとえば時間割とかもそう。月曜の3時間目が漢文で4時間目が物理とか、よく考えたら10分間の休みで、漢文から物理に頭を切り替えるなんてだいぶ大変な作業だと思いませんか?しかも、月曜の3時間目に漢文があったら、次に漢文をやるのは木曜日の5時間目だったりするわけですよ。「前回は杜甫の詩の話をしましたから、今日は続きで白居易をやります。では教科書54ページの…」なんて言われても、そのあいだ全く関係のない21世紀に私たちは生きているもんだから、まず思い出すのも一苦労。この非合理の要因っていうのは、結局全科目の教員を全員フルタイムで雇用するっていう、学校側の都合でできていて、生徒側の都合を一切考えていないところにあるんだよね。もちろん先生もいろいろ大変だと思うけれど。だから結局、学校はこういうもんだっていう固定観念が世の中にまかり通ってしまっているけれど、よく考えると変な話は山ほどある。

清水 たしかにそうですね。そうすると、本当に生徒のための教育を行うには、どういったアプローチがあるでしょうか。

本間さん そうだなあ、例えば、中高で「集中型の講座」をやってもいいんじゃないかと思いますね。世界史で、中国の三国時代を教えるのが得意な先生がいたとする。その先生はある特定の中学高校に勤務という形で固定されているけれど、三国志の大スペクタクルをとても上手に教えることができて、これを聞いた生徒が思わず興味を刺激されてしまうくらいだとしたら、ぜひともほかの中学校に出張して「今週は三国志ウィーク!」と銘打って集中講座で披露することがあってもいいと思うんですよ。こうすれば、学習効果が高いだけじゃなくて、歴史の面白さに気付く子が絶対に出てくる。

清水 面白いですね。そんな授業があったら受けてみたい(笑)。しかし現実にはそういった教育が行われていない。

本間さん 多様性を認める発想がないんですね。そこで文部科学省のことを考えると、文科省ってのは基本的に学習の栄養計算だけをやっているイメージがします。どういうことかというと、基本的に僕は教育を「クッキング」、学習を「ダイニング」と捉えています。どうやって食べてもらうかってところを考え、調理はもちろん配膳までするのが教育の仕事だと思っているんですよ。生徒は、口に入れてみて「これおいしいね」って言って噛んで咀嚼して、消化して、そうしてようやくその子の血肉になっていく。これでようやく「学習」のサイクルが完結するんですね。文科省ってのは、一方で、教科書の知識として何を載せるかということしか考えていない。栄養計算だけやっているようなものです。現代では、学校に行かなくても知識を得るだけなら、e-ラーニングをはじめとして膨大な学習資源が転がっています。だから、学校に行くことの必要性も変わっている。僕は学校が「社会性を学ぶ場」に変わらなければならないと考えています。問題なのは、教育学って概念があって、「人間は教わらなければ学べない」といった、せいぜい18~19世紀のような価値観が横行していることですね。今はe-ラーニングのように素晴らしい選択肢が出てきている。まず、学習速度の違いに対応しやすいことが利点ですね。一つのプリントに30分かかる子にも1時間かかる子にもまとめて対応できる。次に、「誤答分析」といって、間違った答えを分析して、算数の通分で間違っちゃった子には通分の問題を与えるとか、そういった対応が自動的かつ有機的に行える。これは40人くらいの子を一度に見るクラスでは、なかなか実現できないことなんですよ。そうすると、ますます、これからの学校はなんのための学校なのかって、教育観を再考する必要が出てくるはずなんですよ。

清水 おっしゃるとおりですね。 東大教育学部の佐藤学先生も、「黒板と教卓があって机と椅子が一方向に並べられ、教師が教科書を中心に説明し生徒がノートをとるという授業風景は、もはや博物館に入っている」と述べられています。 これからの時代の新しいモデルが求められているのだと思います。

複式学級について

清水 これからの教育を考えるにあたって、僕は縦割りというか異年齢学級の研究をしています。和歌山大学附属小学校というところに通っていまして、複式学級の学校なんですが。

本間さん そうなんですか!それはすばらしいぃ~。

清水 ありがとうございます(笑)日本の複式学級はフィンランド等のそれと違い、それぞれの学年で違う内容を勉強していることが多いんです。たとえば、1年生と2年生の合同クラスがあるとすれば、1年生と2年生は、単元は似ていても、内容は違う。それを先生が1人で教えているのです。ここで面白いのは、休み時間の生徒たちの様子です。下学年の子ども達は、上学年の子ども達が学んでいる内容を、自然と目にすることになります。リラックスした状態で、上の子がやっていることを学ぶことができる。それを見た下の子たちは、「面白そうだな」とか「かっこいいなぁ」と憧れを抱く。その憧れが、学習意欲の向上につながっていくのではないかと私は考えています。

本間さん そうですね。学習意欲がきっと高まるでしょうね。でもね、とくに一人っ子が増えている現代に関して言えば、僕は複式学級に対して大賛成。ほら、人に教えようとするとしっかり学ぶ必要が出てきたりして、学力が上がる「ラーニングバイティーチング」というのも期待できる。それに、たとえ年が同じでもいろんな子供がいるわけだから、学年制っていうのは必ずしもしなくていいと思うね。

清水 学年制ってのは、明治期に経済的な理由で作られたんです。明治期に就学率をあげようとしたら先生が少なくなってしまった。そこで、それまでは学力ごとに生徒を見ていたんだけど、学年として分けることによって、先生の人数が最小限で済ませようとした。

本間さん へえ、そうなんですね。ということは、今は教員免許を持っている人が山ほどいるから、学年制でなくてもいいですね。鳥取大学に複式学級の研究をしている人がいたんだけれど、教育学部はお取りつぶしになってしまった。だから本当に複式学級は大賛成ですね。兄弟のいない子に異世代間コミュニケーションをさせてあげたいですね。

清水 「協調的学び」とかけて、僕は「兄弟的学び」と言っていいます。僕は三人兄弟の一番下で兄から習ったこと多かったので、大事かなと。

本間さん いいお兄様(笑)

清水 いやいや(笑)。なので、どんどん掃除とか運動会で縦割りの仕組みにしていくのはどうかなと考えています。こういうピア・サポート・プログラムのような仕組みを増やしていきたいですね。

本間さん 全国に何万って学校があるわけだから、新しい仕組みを導入するような学校が一つくらいあってもいいと切実に思うんですよね。成功例として全国区に広げていってもいいと思います。日本の教育は、学習指導要領があるために、新しい試みに対する許容性がないですね。 畑村洋太郎先生が「失敗学のすすめ」という本の中で、「農業と工業の発達にはスピードの違いがあるのは「実験」と「失敗」の数が違うからである」とおっしゃっています。確かに農業は古くからあるけれど、たかだか2000サイクルしかしていないと。それを聞いてぼくが愕然としたのは、教育の世界はなんだろうと思ったんですね。新たな「実験」も「失敗」もしない、スパイラルの中にいるだけの学校教育では進化はありえない。だから、これからの文科省が実験を奨励してくれたら、初めて日本の教育改革は進むと思うんですよ。

常識にとらわれた高校生へメッセージ

清水 そんな教育の中にいる中高生に向けて、自然に生きていいよというか、世間の価値観に縛られなくていいよといいますか、そういった本間哲学をお聞きしてもいいですか?

本間さん うーん、そうですね、では中学高校についてお話しますね。中学生高校生に一番伝えたいことというのは、「あなたの中にはすごい可能性があるんだよ」ということですね。 たまたま学校の授業で分からないところがあるからといって、それで人生が終わりではないということです。それなのに、そこで先生にがみがみ言われたりなんかしたりすると、子どもの自己肯定感はどんどん下がっていってしまう。実際は、学校で教えられることは人生の学びの中のごく一部でしかないし、社会に出たときには、それ以外の評価の基準がいくらでもあるっていうのにね。僕の息子はパン屋さんになるっていうくらい人当たりが良くて、引っ込み思案な僕とはちがって、すごいなって思ったりします。

清水 それは息子さん素敵ですね。誰とでも友達になれるのは大切なことですね。

本間さん 彼の天分からしたら、パン屋さんとしてとても活躍できるかもしれない。そうだ、清水さんは「活躍」にどんなイメージがありますか?

清水 僕の中での活躍のイメージというのは、自己肯定感がまずあるといいますか。それをやることが楽しくて仕方ないといって、突き進んでいくようなイメージですね。

本間さん ぼくも同感ですね、本当はそうなんだよね。学校の先生の言うとおりたくさん勉強をして有名な大学に入ったとしても、それで幸せかどうかなんて誰にもわからないじゃないですか。自分のやりたいことをやって、自分の人生これでよかったなとしみじみ思えばいい。その中で学校の勉強は大事じゃないとは言わないけれど、例えばお母さんの掃除の手伝いだって大切なことの一つなわけで、学べることはいくらだってあるんですよ。だから学校の勉強が能力開発のすべてではない。松下幸之助は小学校四年で中退してそのあと自分で学び続けたわけなんですが、その中で培われた基本方針が「自修自得」と「万事研修」の二つです。自ら修め自ら会得する、つまり教えてもらうのを待っててはいけないということと、あらゆることが自分自身の勉強になるという、二つの考え方です。政経塾で基本とされた挨拶や掃除というのは、いうなれば他者や社会とのコミュニケーションであって、これをおろそかにしないことが人間力や人徳に活きてくるんですね。社会で大切なことは、やっぱりかなりの部分が、コミュニケーション力と自己洞察力にあると思います。

清水 本間先生はお若い時から、常識や固定観念に縛られないといいますか、社会への批判精神のようなものを身につけていらっしゃったと思うのですが、そのきっかけのようなものはあったのでしょうか?

本間さん うーん、いい質問ですね。確かにきっかけのようなものはありましたね。小学生だった時に、当時流行した多湖輝先生の「頭の体操」という本を読んだんですよ。そこで、自分の認識の枠組みが全てではないとか、物事を相対化するということについて非常に知的刺激を受けましたから、「常識を疑う」という発想の土台が作られたのかもしれません。大学のときは批判社会学のゼミで、主権国家システムを抜本的に見直すという卒業論文をまとめました。

清水 頭の体操ですか。それが以後の発想につながったと。

本間さん それと、常識にとらわれすぎてはいけないという考え方は松下幸之助さんからも学びましたね。彼が取材などで一言求められて、色紙に一番多く書くのは「素直」という言葉なんですよ。 「素直」っていうのは偉い人の話を唯々諾々と聞くということではなくて、囚われのない心。英語でいうアントラップトマインドという意味です。従来の半分のコストでラジオを作るとか無茶な注文があっても、無理だと決めつけずゼロベースで取り組んでみると、注文通りのラジオが本当にできてしまうんですね。 そういったエピソードが彼にはいっぱいあって、常識にとらわれているうちにはクリエテイティビティは発揮されない。新しいことを発想するには、常識をぶち破る発想が必要かなと。僕のきっかけになった三つは、頭の体操、批判社会学、松下幸之助、だったかなあと今になって思います。

新しい教育観

清水 最後にこれからの教育観の話をさせてください。現状としては、教育観の温度差というのが教える側と教えられる側にあるのかなと。いま実際、小玉重夫先生(東大教育学部)の本を読んでいて、理想の教育論としては、上下関係を作るのではなくて生徒と一緒に真理に向かって共に向かっていくことが必要なのだろうと考えています。

本間さん 授業一つとってみても、その通りですね。先生が答えを教えるという心理的優位に立つのみで、生徒と一緒に答えを模索するような、一緒に学ぶ姿勢が欠如しているのは大変にもったいない。 基本的に、人間はすべて学習者なんですね、人との関係の中で学び続けていくっていう。最終学歴にこだわるのじゃなくて、最新学習歴を更新し続けていく社会というか、ロング・ラーニング・ソサエティとでも呼べるものを僕は目指していますね。

清水 中高生は学ぶことを意識し始める最初の段階だと思うんですが、中高生に向けてメッセージをぜひお願いします。

本間さん 勉強が嫌だなあと思っている人がいたら、ぜひ学ぶことの面白さを知っている人を見つけて、話を聞いてみてください。自分の苦手な科目を楽しそうに取り組んでいる人に対して、「どういったところが面白いのか」とインタビューしてみることで、そういう視点があったのかと納得できるはずです。 孔子のように「学習は喜ばしい」「人との出会いは楽しい」という発想がある一方で、学校は勉強がつらくていじめが怖いといったイメージなんてものができてしまっている。こんな学校にだれがしちゃったんだという感じですよね。ひとりひとりの人間の中には楽しく学ぶ力がある。人との出会いを自分のエネルギー源に変えていく力をすべての人が持っている。これは間違いなく断言できます。だから楽しそうに勉強している人と付き合うと勉強が楽しくなる。それは人生にとっての財産になっていきます。社会のすべてが学びの場です。皆が学ぶという気持ちを持っていればいろんな人からいろんな宝物をもらえる。それが人生の本当に重要な学びであり、人生の宝物を増やしていくということになるかなと思っている姿勢でございます。

清水 すごい!そういう社会になっていければ本当にいいですよね!

本日の感想

清水 本日の感想のようなものを最後に書いていただいてもよろしいですか?前回の坪田さんからは「ケ・セ・ラ・セラ」というお言葉をいただいたんですが。

本間さん 今日感じたことはやっぱりこれですね。「楽しく学び続ける」!

清水 なるほど!本日はどうもありがとうございました!

本間さん こちらこそ、どうもありがとうございました。

12月1日 プラスティーオフィスにて

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